今、子供達に何を教えるべきか?#5

21 Lessons (By Yuval Noah Harari:ユヴァル・ノア・ハラリ)の”真実”:15章から18章をまとめまて、メキシコにいる家族と今日も議論。

ポイント ”真実”
− 力の中心からは、世界は歪んだ形でしか見られず、真実を見つけようとすると、時間を無駄に浪費する。時間を浪費する特権が必要。
− 世界中に張り巡らされた複雑な網は、誰も理解できない。なので、自分のやったことが、道徳的に正しいのかどうかわからない。
− グローバルな問題に悩まされているが、グローバルなコミュニティは存在しない。人間は、グローバルな真実を理解することよりも、自らの権益を増やすことばかり。
− 私たちは、多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳動物、人間だけが虚構の物語を創作して広め、厖大な数の他者を信じ込ませることができる。
− 力を欲しているのなら、虚構を広め始めなくてはならない。この世界について真実を知りたければ、力を放棄しなければならない。
− あなたを操作する世界のやり口を調べ始めたら、結局、自分のアイデンティティが、神経ネットワークによって創り出された複雑な”錯覚”であることに気づく。
− あなたが感じる恐れは、現実。もし自分の心の現実を探究したければ、マトリックスの外だけではなく中でもできる。
− 自己の狭い定義を脱することが、21世紀における必須のサバイバルスキルとなるだろう。

子供達の気づき
真実でないにしても自由主義の功績は大きい、他に良い主義があるのか?
生まれてきた時にあった考えではないので、後で植え付けられたもの。それが正しいのかどうかわからない。

一人一人が広い心を持てばいいと思う。力か真実か、どちらを欲しいかは、人による。どちらも、必要だと思う。自分の考えと違う人がいても、それを受け入れる、もしくは、自分の一部にできる人になればよいと思う。

人間というものが誕生してから数千年経つ。人間はいろんな学問を築いてきたにもかかわらず、結局、真実を知れない生き物であるのは、なんだか残念。
グローバルにより真実にたどり着くのが、どんどん遠のく感じ。グローバルが正しい方向と思っていたけど。。。

昔から未来に続いていく線が真実へ向かっていると思っていたが、遠ざかっている。グローバルによる人間の進化は退化。ただ、ナショナリズムが良いとも思っていない。国も虚偽。いろいろ矛盾してきた。グローバル化により、人は、より人間らしくもなり、人間から遠ざかりもする。

メキシコで、よく聞かれること、”コロナを信じているの?” ”家族とか友達になった人いる?” っと信じていない人がいる。これは、どうなの?

感想
本文のもう少し詳しい内容は最後に。

子供達の意見、”その通りだなぁ”と思います。最後の質問は、難しくて答えれません。メキシコの方は、見たものしか信じないが、物語になると信じてしまうということかなぁ。それは、日本人でも同じか。。。でも誰もそんな質問しないけど。

それなりに読み解くには時間がかかるので、やることがいっぱいある子供達には、まとめたエッセンスをゲットするのが効率的、さらに議論をすれば、自身で考え、それぞれの情報間での関連性が明確になり、意味付けもできる。そして自分の言葉で語れるようにもなれるでしょう。このやり方は、かなり効果的であると思います。

”真実を見つけるには、”時間を浪費する特権”がいる”とのこと。まさに、働く必要もなくなり(定年後)、子育ても終わった時から、その特権を得れる。”力”は、欲する人達にお任せし、自分勝手に”真実”を一つ一つ見出す準備をしよう。数年後は、たっぷり時間があるだろうから。

このハラリさんの話も次回が、最後。

By Hideboo

詳しい内容:
真実
1)無知:あなたは、自分が思っているほど多くを知らない

自由主義の思想は、”合理的な個人”に信頼を置く。
 →独立した合理的な行動主体として人間を描き、この神話上の生き物を現代社会の基盤に仕立てた。
民主主義は有権者が一番よく知り、自由市場資本主義は顧客が、つねに正しく、教育は自分で考えるようにと教える、が。
 →人間の決定のほとんどが、合理的ではなく情動的な反応と経験則に基づいる。
 →個人性というのも神話。人間はめったに単独では考えず、集団で考える。

私たちは、知っていることは、わずか。しかし多くを知っているつもり。なぜなら私たちは、他者の知識を、自分のもののように扱う。

集団思考に頼ることで、世界の主人になれ、知識錯覚により、すべてを理解しようという無駄な努力をせずに済む。進化の視点に立つと、他者の知識を信頼するという方法は、ホモ・サピエンスにとって、きわめて有効だった。

支配層は、真実を発見するのは極端なまでに難しい。あまりに忙し過ぎるから。どんなテーマであれ、深く掘り下げたければ、たっぷり時間が必要で、時間を浪費する特権が必要。もし時間を浪費する余裕がなければ、真実はけっして見つからない。さらに、権力は、現実をありのままに見ず、それを変える。

力の中心周辺部には、革命的な見識がいくつかあるが、無知な憶測や、偽り、迷信的な信条、馬鹿げた陰謀論で満ちている。力の中心にとどまれば、世界をはなはだしく歪んだ形でしか見られない。だが、思い切って周辺部に行けば、稀少な時間をあまりに多く浪費することになる。

その状況下で取りうる最善の行動は、私たち一人ひとりが自らの無知を認めること(ソクラテス)。だが、そうだとしたら、私たちに、正しいものと間違っているものを区別することなど、どうして望めるだろうか?

2)正義:私たちの正義は時代遅れなのかもしれない

道徳性は何百万年もの進化の過程で、狩猟採集民の小さな生活集団の中で起こる社会的や倫理的ジレンマに対処できるように適応した。
問題は、そうした価値観を複雑なグローバル世界で実行に移すのが難しい点にある。

経済的、政治的なつながりの気が遠くなるようなネットワークに頼って生きており、グローバルな因果関係はあまりに縺れている。
→自分のやっていることが、どうつながっているかがわからず、道徳的に正しいのかがわからない。(意図なく、非道徳なことにつながる)
→現在の世界では、道徳的義務は、知る義務となる。(知らなかったでは、許されないこともある)

「知ろうという真摯な努力」
人は、地球の反対側にいる人々の苦境には、責任はなかった。近隣で自分より恵まれていない人に同情しようと努力すれば、それで十分だった。今日では、気候変動や人工知能(AI)のような問題をめぐるグローバルな議論は、あらゆる人に影響を及ぼすので、あらゆる見地を考慮に入れる必要がある。

世界中の無数の集団の間に張り巡らされた複雑な網は、誰も理解できない。世界の主要な道徳的問題を理解しようと望んだとしても、それはかなわない。地球上のすべての集団や下位集団の関係を理解できないから。

どうするか?

第一の方法は、問題の規模を縮小すること:一方が悪人、もう一方が善人とする。この争いの歴史的な複雑さを、単純明快な筋に置き換える。
第二の方法は、胸に迫る人間ドラマに的を絞る:子供の悲劇的な身の上話をすれば、涙腺を緩め、血を沸き立たせ、道徳面で偽りの確信を持たせることができる。
第三の方法は、陰謀論をでっち上げる:大富豪が、裏で糸を引いたり、マスメディアを支配したり、戦争を扇動したりしていると想像する。
そうした陰謀論は、ほぼ確実に根も葉もない幻想にすぎない。裏で効果的に糸を引くことができる人などもはやいない。
第四の方法は、教義を一つ生み出し、全知という支配者を信頼し、導かれるままについていく:宗教的な信条やイデオロギー上の教義が、今でも依然として魅力的なのは、複雑な現実からの避難させてくれるから。ただ、正義を与えてくれるかどうかは疑わしいが。

今や私たちはグローバルな問題に悩まされているが、グローバルなコミュニティは存在しない。フェイスブックもナショナリズムも宗教も、そのようなコミュニティを創設する段階には程遠い。また、既存の人間の集団は、グローバルな真実を理解することよりも、自らの権益を増やすことに余念がない。

真実を理解して正義を見つけるという人間の探求は失敗に終わったのか?
私たちは、ポスト・トゥルースの時代に入ったのだろうか?

3)ポスト・トゥルース:いつまでも消えないフェイクニュースがある

ホモ・サピエンスは、ポスト・トゥルース(脱真実)の種であり、その力は虚構を創り出し、それを信じることにかかっている。私たちは、多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳動物であり、人間だけが虚構の物語を創作して広め、厖大な数の他者を説得して信じ込ませることができる。

でっち上げの話を1000人が一か月間信じたら、それはフェイクニュースだが、その話を10億人が1000年間信じたら、それは宗教となる。宗教やイデオロギーに加えて、営利企業も虚構とフェイクニュースに頼っている。ブランド戦略がまさにそう。(コカコーラ)

真実と力が手を取って進めるには限度がある。両者は別々の道を進み始める。あなたが力を欲しているのなら、虚構を広め始めなくてはならない。この世界について真実を知りたければ、力を放棄しなければならない。

力のために働くのか、真実に仕えるのか? 

誰もが確実に同じ物語を信じるように人々を統一することを目指すべきなのか、不統一に陥るという代償を払ってまで人々が真実を知ることを許すべきなのか?

人間という種は、真実よりも力を好む。私たちはこの世界を理解しようとすることよりも、支配しようとすることに、はるかに多くの時間と努力を投入する。

真実が君臨し、神話が無視される社会をあなたが夢見ているのなら、ホモ・サピエンスにはまったく期待が持てない。チンパンジーでも当てにしたほうがまだましだろう。

ただ、現実を虚構と区別するために、一生懸命努力するべき。自分の偏見を暴き、自分の情報源の確かさを確認するために時間と労力をかけるのは、私たちの責任だ。

私たちは全てを自分で詳しく調べるわけにはいかない。だからこそ、自分の情報源は、念入りに調べる必要がある。

第一に、信頼できる情報が欲しければ、たっぷりお金を払うこと。高品質の食品や衣料にお金を払うのと同じように。
第二は、何らかの問題が重要に思うなら、関連した科学文献を読むこと。また、自分の専門分野においては、意見を聞いてもらうことを恐れるべきではない。

21世紀には、SFは最も重要なジャンルになる。なぜならSFは、AIや生物工学や気候変動のようなことを、人々がどう理解するかを決めるから。

4)SF :未来は映画で目にするものとは違う

人間が世界を支配しているのは、他のどんな動物よりもうまく協力できるからであり、人間がこれほどうまく協力できるのは、虚構を信じているからだ。

SFの最悪の罪は、知能を意識と混同する傾向にある点かもしれない。この混同のせいで、SFはロボットと人間が戦争になるのではないかと、過剰な心配を抱いているが、実際に恐れる必要があるのは、アルゴリズムによって力を与えられた少数の超人エリート層と、力を奪われたホモ・サピエンスから成る巨大な下層階級との争いだ。

あなたを操作する世界のやり口を調べ始めたら、結局、自分の核を成すアイデンティティが神経ネットワークによって創り出された複雑な”錯覚”であることに気づく。

人々は枠の中に閉じ込められるのを恐れるが、自分がすでに枠、すなわち自分の脳の中に閉じ込められていることに気づかない。そして、脳はさらに大きな枠、すなわち無数の独自の虚構を持つ人間社会の中に閉じ込められている。あなたが”マトリックス”を脱出したときに発見するのは、さらに大きな”マトリックス”だけだ。

ただ、あなたが感じる恐れは、依然として現実のものだ。もし自分の心の現実を探究したければ、マトリックスの外だけではなく中でもできる。

脳も「自己」もマトリックスの一部なので、マトリックスから逃げ出すには、自分自身から逃げ出さなければならない。とはいえ、その可能性が本当にあるかどうかは探究に値する。

自己の狭い定義を脱することが、21世紀における必須のサバイバルスキルとなってもおかしくない。

                               以上

投稿者: Qprny

ごく普通の会社員だと思います。

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